アルプス一万尺 容量オーバー
4月 23

山口県母子殺害事件の判決に、少年犯罪だったにも関わらず『死刑』が出た。

感覚的なところで言わせてもらうと、18歳の時だって『自分は十分大人だ』と
自分が18の時思っていてたし、基本的にあの頃と今も、(得た情報の物理量と
そこからの学びにより大人になった面はあるだろうけど、)精神年齢的には変わっていない
と思っている。

だから、「未成年だから」ってのは罪を裁くときには関係ないんじゃないか?と、
そういう感覚でいる。

成人になったからとか、未成年だからとか区別をつける必要はなくて、
報道でも「18才の少年により母子が、、、」というような言い方ではなくて、
「18才の男が母子を、、、」という客観的な情報に終始するべきじゃないか??

 法を犯したものが処罰されるというのは、端的に言うと「代理で報復を受けている」
とも言える、というかそういう面は否定できまい。
だから、殺人事件が起き、その遺族が『死刑』を望んでいるのならば、これはもう
尊重し、叶えてやるべきだとしか思えない。
中には死ぬまで「塀の中で反省しろ」、とかこ「れ以上の死は望まない」、という
遺族の方もいるだろうけど、それはそれで応えてやるべきだし、同様に
『死をもって償え』という遺族の意見も積極的に取り入れるべきだろう。

人類の歴史の中で、ほんの数百年前まで『仇討ち』や遺族による石打ち刑とか、
公開処刑、そしてそれに遺族が同席などが普通にされていたわけで、詰まるところ
『人間の本質』ってやつは幾ら社会が変わってもそうそう変わっていかないと思う。
でも、今の社会では自ら手を下すわけには行かないのだから、国が遺族の望みを代行
する助けをしてやるべきじゃないか?

以前も書いたが、無期懲役は『終身刑』とは違うので、いずれ出てくる。
そう考えると、殺された遺族が『死刑』を望み、死刑囚の犯行が明らかであるのならば
これはもう速やかにいっそ、遺族すらびっくりするくらいのスピードで、一ヶ月後とかにでも
執行してしまうべきじゃなかろうか。

結局の所故人は戻ってこないし、死刑囚が死んだところで何もすっきりとはしないわけだが。。。

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