11月 14

本当かどうかは知らないが、よく『頭の良さは3才くらいまでに決まる』なんてことが言われる。
仮にそれが嘘だとしたとしても、多分2才くらいの子供の頭の回路というのは、脳細胞が死んで
いくのみでメモをしておかないとすぐやることを忘れてしまうような我が頭とは別の過程にあり、
猛烈に色んな情報が行き交い、交錯して、自由な情報が行き来し、生まれている違いない。
 
そんなこんなで、時折出るアドリブ(この場合教えたものではなく、自分で考えて発した言葉)
などには、時に笑わされ、時に感嘆させられ、『子供は天才だ』なんて言われる言葉の一端を
我が子を見て体感したりする時もある。
 
 
子供が、子供故の自由な発想、自由な想像が出来るその理由、色々あるだろうが
とどのつまり、
『子供には常識がない。』って事じゃないだろうか。
 
 
例えば、巷を走っている本当の自動車と、自分の手元にあるミニカー。
大きくなれば、本物が巷の自動車で、それを小さくしたのが手元のミニカー。
本物は、人を乗せて走ることが出来るし、そのための機能が内蔵されているが、
ミニカーは形を似せて小さくしたモノなので、自分の手で押さないと動きやしない
ということを理解してくるだろうが、今の時点ではそういう前提条件として常識はないはず。
 
彼らはミニカーをいったい何だと捉えているのだろうか?
ミニカーの消防車も「ショーボーチャ!」
本物の消防車を見ても「ショーボーシャダ!」と同じ名称で呼ぶ。
ちっちゃいものは、自分の所有しているものだと分かっている。
大きいもの(本物)は自分の自由にならないこと、自分のモノではないことも分かっている。
絵本に描かれているデフォルメされた動物が運転している消防車も「ショーボーシャ」だと言う。
勿論「はたらくじどうしゃ」みたいな本に載っている写真をみても「ショーボーシャ」がわかる。
でも、これらの違いはどう頭の中で捉えているのだろうか?
 
そして、以前までは赤くて四角ばった車が「ショーボーシャ」だったのが、
最近だと、ハシゴが付いてるもの、クレーンがついているもの、放水するものに関して
種類が違うものだ、と言うことを認識してきている。
なので、消防車を指さして、「これは〜?」と聞いてくる。
今までは「消防車だよ」と答えていたモノに対して、今は「はしご車だよ。」
「放水車だよ」などというレベルの答えを求めているのだ。
 
今までと同じ本を見ているのに、その内容を細分化して、特徴で個別に理解しようという
このプロセス。これが普通にされ始めるようになってきたとき、それは動物的な活動から
ヒトとしての知能を活用し始めた、その人のサキガケの部分ではないかと思う。
現に、ただ目の前にあるものを指さしてその名称を叫んでいた時代が終わり、
おもちゃに対して、一定のルールを持って自由に遊ぶ(ブーブーごっこに興じる等)ことや
想像に寄るであろう作り話をしてくれたり、乗ってもいない乗り物を指しては、
「これ、乗った」と教えてくれたりもする。
(実際に乗ったことのある乗り物も同様に「やまのてせん。これ、のった」等とも言う)
 
 
また、こう言ったことは、単純な乗り物のみならず、動物に関しても同じ事が言える、
いやむしろ、動物の方が複雑で面白い。
 
=つづく=